最近思うこと その1
ここ数年で急激に人の考え方が変化してしまったように感じます。ずっと沖縄に住んでいたこともあるのかもしれませんが、暮らしづらさを感じます。
細かく言えばいくつかあるのですが特に3つの大きな変化で
お金についての考え方、付き合い方
コミュニケーションスキル(素早く考えをまとめて相手に伝える事をかなり重視する)
人の意見と自分の意見や感じ方が違っていても追及せず信用してしまう
他人を非難したがる人たちが以前より増えてきている
4つになっちゃいましたが解説します
お金についてなんだけどまず個人が個人にお金を配るなんてよくないと思います。良いことしてるつもりの人も益があって行う人もいるでしょうけどなんの対価もなくお金だけ配るのは感覚的にダメっていうのがあります。理屈を言えと言われることも多いのですがなんだか経験則としてそう思うのです。
世の中は現在、理屈(論理)偏重で動いていて、社会的な場でなくても科学的、論理的な裏付けがないと話にならないといった風潮、コスパとか損得偏重でものを考えるようになりました。僕は全然論理的ではないし論で来られても反論はできませんが考えは感覚も大事にしていきたいと思っています。科学の世界では今まで正しかったことが一瞬で真逆になることもしばしばあり、そういう時には感覚に頼ったほうがいいときもあることを経験から知っているんです。もちろん論理的に考えることは大事ですが偏重してしまうと間違ったことに気づかずどんどん進んでしまうことがあるんじゃないかと思います。
お金があれば何でもできる。確かに出来ないことはほとんどないかもしれません。でもだからと言ってお金がたくさんあれば幸せかというとそうでもないのです、おそらく。
僕はお金のある方たちに縁があっていろんな話を聞きましたがみな一様にお金の話しで家族間のいざこざが絶えず、さらにお金が減ってしまう恐怖からずっと逃れられず稼ぎ続けるしかないといった思考で動いているように感じました。世界中の金持ちがそうではないと思いますが、少なくとも僕の知っている方たちは例外なく楽しそうに過ごしているようには見えませんでした。
お金を配ることが良いことか悪いことかという話からずれてしまいましたが僕はやはり何事にも代償はつきもの、お金を稼いでいる人が人知れずですが悩み苦悩しているのに利益を得る代償(時間、労働力、自由etc)も払わずを利益だけ得てもいい状況にはならないと思います。心がけがれるというか怠惰になるというか、、、。
昔のおとなはお金を配る人を見ると下品とか言ってお金をもらいに行くのも下品、近づくなと強く言われてたけど今になると何となくそういう気持ちがわかる気がします。
ちょっと疲れたので後の3つはそのうちやります、思ったより言いたいことあったのでつい長く。しかも纏まってなくて読みづらいたぶん。
今は物質的、システム的にはどんどん良くなってきているけれど、僕らにんげんたちは少しづつ少しづつ住みにくくなって心配です。周りと違う意見が言いにくくなって、人と違う行動や間違ったらすぐ非難されて、非難がいやだから同じ考えの人たちでかたまって、、、こういう話がリアルで出来るひとがいたらいいなぁ、たまにでいいけど。
いつもは楽しく笑って過ごしていたい。みんなそうだよねきっと。